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ハト豆ねっと


川口再発見!
 『すごかるた』でめぐる川口



『ま・み・む・め・も』の旅



もうすぐクリスマス!
街がイルミネーションで華やかに輝いています。
『川口すごかるた』でめぐる川口再発見の旅、第6弾は、
魅力満載の「ま・み・む・め・も編」。
今回も鋳物のまち・川口にちなんだ建築物やマンホール、
江戸の味・麦味噌や県最古の富士塚などが登場します。
魅力いっぱいのキューポラのまちへ、
さあ、ワクワクの旅に出かけよう!




川口市の花はテッポウユリ。
市の花は、埼玉国体をきっかけに1996年1月27日に制定されました。
「なんで市の花がテッポウユリなの?」
実は土地にゆかりの深い花が多数候補にあがったのですが、その中でも、明るく清純で、しかも川口市で広く愛されている花として「テッポウユリ」が選ばれたのです。
このテッポウユリはマンホールにも刻まれていて、川口の街中のいろんな場所で見ることできます。
川口はマンホールの生産でも有名なんですよ。
このマンホールには真ん中にテッポウユリをあしらい、その周囲には川口の特産品である「竹ざる」の網目模様が描かれています。
「川口にはマンホールを作ってる会社があるのよね」
「そうなのよ。長島鋳物株式会社は、国内唯一のマンホール専業メーカーなのよ」
「市産品フェアでいろんなデザインのマンホールが展示してあったけど、もう美術品みたいにきれいだった」
「ひこにゃんのデザインもあったね」
そうなんです。川口は鋳物のまちだけあって、街中にはマンホールアートがいっぱい!
いろんなデザインのマンホールを探して歩くのも楽しいですよ。





川口鋳物を象徴するキューポラの街も、今や高層マンションの街に変身!
鋳物工場の跡地には次々とマンションが林立し、荒川から見える姿はまるで「川口のマンハッタン」のようです。
映画『キューポラのある街』は、鋳物の街・川口を舞台とした青春ドラマですが、昔の川口の風景が蘇ってきます。
この映画は早船ちよさんの小説で、1962年に浦山桐郎監督が映画化したものですが、早船ちよさんは、この小説で日本児童文学者協会賞を受賞、「日本の子どもの本100選」にも選ばれました。
監督デビュー作だった浦山桐郎監督は、ブルーリボン賞作品賞を受賞、第3回日本映画監督協会新人賞も受賞しました。
主演の吉永小百合さんもブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品でもあります。
キューポラの街から高層マンションの街へ。
大きく飛躍していく川口市は、人口60万人。来年は中核市になります。
荒川運動公園を散歩しながら、映画のワンシーンの風景を思い浮かべてみるのもいいですね。





江戸時代後期から昭和40年代まで、川口の南平地区では地元の麦を使った麦味噌の製造が盛んでした。
国の登録有形文化財に指定されている旧田中家住宅は、「上田一(じょうたいち)」という味噌の醸造業をしていました。
江戸に隣接していた川口は、日本有数の味噌の産地でもあったのです。
「江戸時代は芝川から船で運ばれていたのね」
最盛時は7・8蔵もあって、出荷量も全国上位を占めていたそうですが、今ではほとんど無くなってしまいました。
その麦味噌を復活させようと立ち上がったのが、かわぐち麦MISO倶楽部(新井俊雄代表)。
新たな川口の特産品として開発された「川口御成道みそ」は、日光御成道まつりの関連みやげ品としても紹介されていますが、新井宿にある障害者施設『ごきげんらいぶ』のみなさんが作っています。
地域を盛り上げようと復活した麦味噌、香り高く、コクのある深い味わいで、何かロマンを感じさせる味です。





鍋平邸は、鋳物で財をなした鋳物問屋・鍋屋の4代目嶋崎平五郎氏の元居宅でした。
明治末期から昭和初期にかけて建築された貴重な建物で、国の登録有形文化財になっています。
川口市の鋳物産業の隆盛を物語るこの建物は、現在は川口市母子・父子福祉センターとして市が管理をしています。
母屋一階の座敷は、明治末期創建当時の姿をとどめ、書院や欄間の飾りに趣向をこらし、数寄屋風の意匠がみられます。
昭和14年に完成した離れは、顧客接待用に用いられたため、天井は屋久杉、インドから取り寄せたコクタンの柱、欄間の彫刻、洗面所に組み込まれたたステンドグラスなど、西洋文化の風情を取り入れ贅の限りが尽くされています。
「豪華な洗面所ね。ヴェネチアガラスでできたステンドグラスが素敵!」
「庭園も見事で個人の別邸というより、料亭や旅館みたいだね」
鋳物問屋の館にふさわしく、鋳物の凝った造りの照明器具も随所に見られます。
五代目嶋崎平五郎氏が逝去後、嶋崎家は川口市に邸宅の建物を寄贈され、現在はお母さんと子どもたちのふれあいの場として活用されていますが、建物や庭園の見学もできます。
内部見学は事前連絡が必要。





江戸時代、日本一高い山・富士山は信仰の対象でもありました。
多くの人々が富士登山に出かけましたが、登れない人々のために作られたのがこの富士塚です。
木曽呂の富士塚は、埼玉県内では最も古く、地元では「木曾呂浅間(せんげん)」・「金崎富士」とも呼ばれ、国指定重要有形文化財になっています。
造られたのは寛政12年(1800年)、富士講の一派で丸参講の信者である蓮見知重の発願により、見沼代用水東縁と見沼通船堀の連絡点の崖上に築造されたものです。
高さ5.4m、直径20m、塚全体が盛土で築かれており、火口・お中道・胎内めぐりの穴などが設置されています。
この富士塚に登るには、小さな鳥居の左側、20段程の階段を利用します。
頂上には火口に見立てた窪みがあり、一周するお鉢巡りは昔から人気があったそうです。
「富士山に登るのはたいへんだけど、ここなら誰でも簡単に登れていいね」
「昔は信仰の対象だったんだからね」
富士講といえば、小谷三志翁が有名ですが、川口にはその他にも「神根の富士塚」「横曽根の富士塚」「青木氷川神社の富士塚」などがあります。
平成18年には、皇太子殿下も木曾呂の富士塚をご視察になられました。
すぐそばには、手打ちそばの『はすみ』というお店がありますが、このお店は富士塚を造った蓮見知重さんのご子孫のお店です。
「富士塚見学の後には、おそばを食べて帰るのもいいね」




『あ・い・う・え・お』編
『か・き・く・け・こ』の旅
『さ・し・す・せ・そ』の旅
『た・ち・つ・て・と』の旅
『な・に・ぬ・ね・の』の旅
『は・ひ・ふ・へ・ほ』の旅



*一部写真(鍋平邸・木曽呂富士塚)は、川口市のホームページからのものです。
*高層マンションは、伊田昭三氏提供です。
*船積み風景は、セントラルグループのホームページからのものです。




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