目次へ

ハト豆ねっと


おしゃべりインタビュー



ハト豆記者のおしゃべりインタビュー!

15年目を迎えた鳩ケ谷寄席
≪おしゃべり対談≫
楽しみながら街をを元気に!




陸の孤島といわれた鳩ケ谷に埼玉高速鉄道が開通したのは2001年。
〜地下鉄開通で街が大きく生まれ変わる予感〜
誰もがみんなワクワクしていたのに、何も変わらない鳩ケ谷駅周辺。
折角、完成した駅舎の市民ホールも利用されずに閑散としています。
そこで立ち上がったのが、当時ミニコミ紙『おしゃべりじゃ〜なる』を発行していた2人の主婦。
市民ホールを利用したイベントを考え、街を明るく元気にしようと「鳩ケ谷を面白くする会」を立ち上げたのです。
あれから14年、鳩ケ谷を面白くする会が主催する「鳩ケ谷寄席」は、今年15年目を迎えました。
そこで、「鳩ケ谷を面白くする会」の冨田栄子さんと上田眞由美さんにおしゃべりインタビューとなるところですが、実はハト豆記者が、この冨田さんと上田さんなんですよねえ〜
今回は『おしゃべりじゃ〜なる』から『鳩ケ谷を面白くする会』『ハト豆ねっと』と変化してきた2人のおしゃべり対談です。


ボランティアステーションで開催したポスター展


冨 田: 今年で15年目か、早いねえ?。

上 田: ホント、今度の「鳩ケ谷寄席」が第55回。
今まで鳩ケ谷寄席に出演してくれた落語家さんたちは300人にもなるんだよ。

冨 田: スゴイ!そんなに多くの落語家さんや芸人さんが鳩ケ谷に来たのね。
それって、絶対、鳩ケ谷のPRになってるよね。
埼玉高速鉄道の売り上げにだって貢献してると思うよ。
今は鳩ケ谷駅周辺も賑やかになってきたけど、当時は何にもなかった。
市民ホールも式典で使われる程度で市民の利用はほとんどなかったんじゃないかな。

上 田: だって中途半端なホールなんだもん。
客席は132席しかなくて、舞台は狭いし、ピアノの発表会程度しかできないホールだったからね。

ネタ帳
ポスター・写真ファイル

冨 田: それで考えたのが「寄席」。
あの頃、柳家小せん師匠がふるさと祭りの仮装大会の審査委員長をされていて、実行委員長の小高さんに紹介して貰ったのが始まりだった。

上 田: そうそう、小せんさんも快く、私たちの計画に賛同してくださって、いろんな人に協力して貰ったね。
読売新聞販売店の新井さんはチケット販売の窓口を引き受けてくれたし、何より『おしゃべりじゃ〜なる』を応援してくれていた仲間が「2人がやることだったら、きっと楽しいことだからどこまでもついていくわ」って言ってくれたのも嬉しかった。

冨 田: 鳩ケ谷を活気溢れる楽しい町にしたいっていう、大きな目的があったからね。
会の名前を「面白くする会」って言ったら、反応はイマイチだったけどね。

上 田: 「ふざけてる」って思う人も多かっただよね。
だからこそインパクトがあって、面白い(笑)。

右から、冨田さん、故・柳家小せんさん、上田さん(2001年)

冨 田: 問題は資金面だったけど、「赤字になったら自分たちで出しちゃおう」なんて、本当にノーテンキというか楽観的というか(笑)、あの頃の私たちって、すごい行動力があった。即実行だもんね。

上 田: いろんな出会いが、鳩ケ谷を面白くする会に繋がってる。
小せんさんもそうだけど、当時、友好都市だった大間々のながめ余興場の『黒子の会』の人たちとの出会いにも刺激を貰った。
ボランティアでながめ余興場の活性化を計っていて、いろんなイベントで街を盛り上げていたんだよね。

冨 田: そうだったね。
それに同じやるなら、テレビに出てるような有名な落語家さんに出演して貰いたかったし、やっぱり本格的なものにしたかった。
ポスターやチケット、パンフレットも自分たちのオリジナルのものを考えて、みんな手づくり。

上 田: 凄いパワーだよね。あなたの描いた似顔絵ポスターは、すごく好評だった。

漫才の順子・ひろしさん(2003年)

冨 田: 出演者の交渉は小せんさん(現在は弟子の柳家せん八さん)がやってくれたし、新聞にも取り上げられたりして、すべりだしも順調。

上 田: 年に4回、定期的にやるとなるといろんな工夫も必要になってくる。
PRを『おしゃべりじゃ〜なる』ですることができたのは大きかったかな。
チケットの半券に住所・氏名欄を設けて、次回の寄席情報をハガキでお知らせしたり、市の広報にも掲載して貰った。

冨 田: お陰で補助イスを出しても180席が満席の大人気!早めに予約しないとチケットがないというときもあって、「どうせいっぱいで入れないんでしょ」って、叱られたこともあった。
通路に座布団を敷いて、立見席も作ったよね。

上 田: 今から考えたら夢みたいな話よね。

冨 田: 出演者も豪華版。たった2000円で都内に行かなくても本物の芸が見られるんだもん。
自慢じゃないけど、毎回6組の落語家さんや漫才師などの色物もある寄席なんてそうあるもんじゃないよ。


漫才ののいる・こいるさん(2004年)

上 田: 思い出に残ってる芸人さんはいる?

冨 田: そうねえ、いっぱいいるけど、落語家さんは三遊亭夢之助さん、古今亭志ん駒さん、三遊亭円丈さん、柳家花緑さん。
漫才では、のいる・こいるさんに順子・ひろしさん、にゃん子・金魚さんかな。やっぱりベテランの芸はすごく面白い!

上 田: 私は川柳川柳さんや三遊亭白鳥さん、柳亭市馬さんも印象に残ってるわ。
芸の迫力もそうだけど、素顔も素敵だよね。
私たちが一番楽しませて貰ってるね。




冨 田: 鳩ケ谷を面白くする会のメンバーもユニークな人がいっぱいいるよ。
元市会議員に元市役所幹部。
元消防長だった人とか、部長だった人に、「定年後は鳩ケ谷を面白くする会で地域デビューしよう」って、誘ったんだよね。
職員も「あの部長が椅子運びをしてるんですか」って、びっくりしてたわ。

上 田: お陰で、メンバーも随分増えた。
高齢化も進んでるけどね(笑)。
でも、若い人は仕事もあるから、なかなか難しいのよ。

冨 田: 鳩ケ谷を面白くする会は、鳩ケ谷寄席がメインだったけど、「はとがや芝居小屋」や「鳩ケ谷ジャズ」も開催した。
地元で頑張る若い人たちを応援するつもりで、いろいろやってみたけど資金面がたいへんで、芝居小屋は3回、ジャズは2回で休止。
やり続けるには、たいへんなんだよね。

上 田: そうね。私たちも今は鳩ケ谷寄席を継続させることで精いっぱい。
14年が経って、駅周辺もマンションが建ってお店もいっぱいできてきたし、市民ホールも予約がいっぱいになって、2・5・8・11月の第3金曜日の予約が取れなくなってなってきたもんね。
それに落語会もあちらこちらで開催されるようになったから、運営がしんどくなってきた。

楽屋での柳家花緑さんたち(2012年)

冨 田: 2,000円の入場料で出演料を払ってるから、150人は入ってくれないと赤字になっちゃう。
今までは、提灯を作って貰うことで赤字をカバーしてたんだけど、いよいよ厳しくなってきた。

上 田: 金屏風を寄付してくれた人もいて、いろんな人に助けられてやってきたけど、そう甘えてばかりもいられないし、赤字を負担する力も私たちにはなくなってきたし、市の助成金制度を利用するのも一つの選択肢かなとは思ってるのよ。

冨 田: 鳩ケ谷寄席の特徴はベテランはもちろんだけど、前座さんや二ツ目さんを多く出演させてることにもあるんだよね。
前座さんは二ツ目になるまで毎回出演できるので、若手落語家さんには結構有名な地域寄席でもあるんだよね。


上 田: 落語協会のホームページにも出演情報を入れて貰ってるし、東京かわら版という落語雑誌にも寄席情報を掲載して貰ってるので、すごく評判がいいのよね。
まあ若手落語家の登竜門になりつつあるってとこかな。

熱演する三遊亭円丈さん(2013年)

冨 田: 大きく出たね。
まあ、長くやってる地域寄席はそうあるわけじゃないからね。

上 田: ねえ、このメリットを活かして、鳩ケ谷を若手落語家の街にするっていうのはどう?
鳩ケ谷駅市民ホールを若手落語家の勉強会に開放するのよ。
鳩ケ谷駅に行けば、いつでも落語がやってるなんて面白くない?

冨 田: 面白いけど、鳩ケ谷寄席はどうすんのよ(笑)。

上 田: そうね、どうしたら集客力を上げることができるかが課題なんだもんね。


女性スタッフのみなさん。
上段中央が冨田さんと上田さん
(第50回記念のとき)

冨 田: 私たちも『おしゃべりじゃな〜る』をやめたし、川口との合併で市の広報でのPRはできなくなったし、PR不足なんだと思う。
それに常連さんも高齢化してきたしね。

上 田: 14年間、1度も欠かしたことがないというファンもいるし、口コミで最近は川口の人も増えて来ているんだけどね。

冨 田: 鳩ケ谷寄席の面白さは舞台と客席との近さ、臨場感なんだけどなあ。
川口の人にももっとこの面白さを伝えたいね。

上 田: とにかく今年は15年目の節目の年。
私たちが頑張ることで、若い人たちに刺激を与えられるようにもう少し、頑張ってみよう!

冨 田: そうだね。
15周年は派手にやりたいね。




男性スタッフのみなさん
(第50回記念のとき)




目次へ