目次へ

ハト豆ねっと


郷土の偉人 大熊氏広



郷土の偉人、大熊氏広、その人生涯


鳩ケ谷から東京へ
 
 
 大熊氏広は、江戸時代の末安政3年(1856)八幡木の農家の二男として生まれた。広大な屋敷地を持ち、敷地内に氏神社まで持っていることから、かなり裕福な農家だったようだ。子どもの頃の名前は良三郎。祖父母、両親、兄、妹、弟の8人家族であった。父は農業を営む一方俳人でもあり、祖父も学芸を好み文人や画家との交流があったという。兄も篤農家でやはり文学に造詣が深かったといわれている。 兄はまた不二道孝心講の指導者でもあり、このような環境が氏広の生育に大きな影響を与えたのではないだろうか。
右の写真は、氏広とその生家。生家は鳩ヶ谷市八幡木3丁目に今も残っている。現在のご主人の話によると、屋根は茅葺から瓦葺へ、外壁やサッシ等は新しくなっているが、柱や間取りなどは当時のままだという

大熊氏広とその生家

絵馬

 彼が14歳の頃描いた絵馬/・鎌倉権五郎是政矢抜図が中居(鳩ケ谷市南町)の神明社に今も残っている。

 また、16歳のときの作品、長大な「酒呑童子絵巻」―幅40センチ長さ20メートルほど―(平安時代の話。大江山に酒呑童子という鬼が棲んでいた。鬼は悪行の限りを尽くしていた。その鬼を源頼光が退治に行く、という話)も残されていることから、すでにかなり日本画について学んでいたものと思われる。下絵に彩色していく、という画法でかなり細密なもの。

酒に酔いつぶれてしまった酒呑童子
表情も豊かで色彩も鮮やかだ。

参考:「酒呑童子」の物語

酒呑童子絵巻1

 酒呑童子の物語に添って、ストーリーが全部絵になっている。下絵はすべてにわたって細い墨で描かれており、部分的に彩色されている。下絵の部分まで氏広自身が描いたものかどうかははっきりしない、というのが郷土資料館の係りの人の話であった。

彩色されている部分と下絵のままの部分
裏面に明治6年2月大熊氏広 これを描いた 16歳 とあることから鳩ケ谷在住の頃の作品と考えられる。

酒呑童子絵巻2


ラグーザ

彫刻科生徒進歩表

来日当時の
ラグーザ

工部美術学校彫刻生徒卒業試験表
いうならば成績一覧表
氏広がトップである

 16歳の頃、西洋画を勉強するため祖父と共に東京へ出る。工部美術学校(東京芸術大学の前身)が開校されると、彫刻科に入学。その頃工部美術学校彫刻科の教師は、国によって招聘されたイタリア人彫刻家ラグーザであった。ラグーザはイタリアでも一流の彫刻家であったようだ。氏広は彫刻科の助手を務め鋳造の技術を学んだ最初の人でもあった。ラグーザの授業は、当時衰退期にあった日本の彫刻界に全く新しく西洋彫刻を移植していくものであった。在学中の氏広の成績は常にトップクラスで卒業時は首席であった。氏広はこの学校で6年間学んだ。


彫刻家への道
 

 工部美術学校卒業後、明治17年、工部省工作局(のち内務省土木部)に務め、皇居や官庁の建築彫刻を担当した。
 また、「有栖川宮(ありすがわのみや)邸の新築にともない彫刻の部分を担当した。これが機縁で「有栖川宮熾人親王」の彫刻を依頼されるようになる。
 明治18年 のちに代表作となる「大村益次郎像」の制作を依頼される。また、ほぼ時期を同じくして三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の銅像も依頼される。期せずして大作に取り組むことになった氏広は役所を辞し、岩崎家の援助でヨーロッパに留学することになる。32歳であった。フランスからドイツ・オーストリアと回りローマの美術学校で1年間学ぶ。パリ美術学校ではファルギエル、ローマではアレグレッティさらには巨匠モンテヴェルデに学んだ。1年半にわたる留学中、氏広は学校での勉強のほか、数多くの美術作品を見て回るなど精力的に研究をしている。

有栖川宮熾人親王像
有栖川宮記念公園:静かな公園の一角にビッグに立てられている。(05,9,24撮影)

有栖川宮熾人親王像

大村益次郎像


代表作 大村益次郎像と作品群


 明治22年 ヨーロッパから帰国した氏広は早速「大村益次郎像」の制作に取り掛かる。4年越しで完成し靖国神社境内に立てられたこの像は、氏広の代表作というだけでなく、日本で最初に作られた本格的な西洋式の銅像であり日本の近代彫刻史の出発点として高く評価されている。
 その後も旺盛な制作活動を続け、東京国立博物館表慶館の「ライオン像」、上野公園の「小松宮彰仁親王騎馬像」、有栖川宮記念公園の「有栖川宮熾仁親王騎馬像」、浅草公園の「瓜生岩子像」などがある。そのほか生涯にわたって制作した作品はおよそ100点にのぼる。また、この間文部省美術展審査員なども務めた。
 昭和9年、78歳で永眠する。 

大村益次郎像
靖国神社表参道入り口正面に大きく堂々と立てられている。(05,9,24撮影)


鳩ケ谷市立郷土資料館
 郷土資料館には、大熊氏広の常設展示室があり、ブロンズや石膏製の雛形、解説付の写真、その他スケッチやノートなど多くの遺品が展示されている。

各種資料提供:鳩ケ谷市立郷土資料館
お忙しい中、館長さんや学芸員の方から、長い時間にわたってお話を伺いました。ありがとうございました。
参考:田中修二著「近代日本最初の彫刻家」

2005年9月28日 鳩ケ谷パソコン研究会 駒崎




目次へ