ハト豆ねっと


さくらの思い出がいっぱい



武南桜(ぶなんざくら)

 私が鳩ケ谷に就職し、市内に住み始めた頃(昭和34年)、今の桜町2丁目バス停近くから安行花山下方面には、道の両側にかなりの桜の木が残っていた。太く大きな木で並木を作り武南桜と呼ばれていた。道は県道越谷鳩ヶ谷線のことだが、通称「桜街道」と呼ばれみんなに親しまれていた。しかし、いつの頃からか木は切られてしまい今はその面影さえない。
 ところで、武南(ぶなん)の名前は、「武南警察署」でおなじみだし、昨年 鳩ヶ谷、蕨、川口の3市合併つまづきの原因である「武南市」で一躍名を上げた。もとは武蔵野南部という意味だが、この「武南桜」の力が大きいだろう。
 今は地下鉄新井宿駅開業に合わせ付近の商店会が中心になり、かつて盛んだった頃を復活させたいと活動している。そして、大きな植木鉢風なポットに桜の木を植えたり地植えしたりしているが、何せ桜を植える場所がないことから苦戦を強いられているようだ。

 そこで図書館に行き少し調べてみた。川口大百科辞典には次のような記事が見られる。「武南桜・・・鳩ヶ谷市浦寺から川口市安行花山下までの赤山街道、約4kmの間、街道両側に植えられていたソメイヨシノの桜並木。大正11年(1922)3月、当時の摂政宮(せっしょうのみや)昭和天皇の越谷宮内庁鴨場への御成りに際して、街道整備に植えられたと伝えられる。桜の花の季節は「武南桜」の花見として大いに賑わったが、昭和30年(1955)代から自動車の排気ガスによる枯死が始まり、のち道路の拡幅、舗装整備ですべて伐採されてしまった。」という。

 また、沼口信一編著「ふるさとの思い出 写真集 川口」には、次のような記述がある。「武南桜・・・鳩ヶ谷の浦寺から、花山下に至る赤山街道に桜が植えられたのは、昭和3年から4年にかけてのことで、街道が2間幅から4間幅に拡張された時に、その道に沿って、戸塚村の秋元新蔵氏の提唱で、植木の安行の宣伝もかね地元の有志が植樹したものという。」

 いずれにしても大正末から昭和初期に植えられ、樹勢も盛んだったと思われる昭和30年代には姿を消してしまったのだから意外と短命だったといえよう。当時を知る人にお聞きすると戦後10年ほどの間桜の開花時には近郊近在から多くの人たちが花見に訪れ、たいそう賑わったという。しかし、道路の拡幅によってその両サイドに植えられたものだから、当然中央には道路が走り交通量がある。また、並木の外側は家があったり田畑だったりしたから広場になるようなところはなかった。したがって、桜の花の下でお酒を飲みドンちゃん騒ぎをするような風景はほとんど見られなかった。桜の花の下を静に行き来する風流な花見だったようだ。それにしても、道路の拡幅によって植えられた桜が、また道路の拡幅や自動車の排煙煤煙により切り倒されたのはまことに皮肉なことである。

(文責 鳩ケ谷PC研 K)

武南桜1
武南桜2
武南桜3

写真は本町の蓮見さん提供